いつか恩師の一人から、
大晦日はこの1年を静かに内省し、新年をどのように生きるか構想する日であると教えられました。ストイックな人だったから、紅白歌合戦などを見て浮かれている場合ではないと教えたかったのでしょう。
物理的には、いつもと何も変わらない夜から朝への時間の流れですが、年が明けるというだけで厳かな雰囲気になります。
人間というものは、意味に生きるものだとつくづく感じます。 私は、大晦日は
格闘技を観て浮かれていましたので、翌朝は特段の心の構えみたいのは持っていませんでした。これをよく考えてみたのです。
20代はですね、今年の10大ニュースとか自分史を作っていました。1年を閉じることに材料があった。当然新年の誓いも立てていましたから、元旦の朝になってみると、さぁやるぞと意欲が湧いてきました。
今は、何というか、
そんなに力まずに自然体で新年を迎えることができるようになりました。さぁやるぞと意欲が今でも湧いてきます。だから幸せに生きているのでしょう。そこに新年の雰囲気を味わうという余裕が出てきました。そういう目で周囲を見渡すと、
この2,30年間で生活から無くなっていったものがいかに多いかを知らされます。 例えばお餅です。今でも正月に餅を喉に詰まらせて亡くなる高齢者が必ず出ることだけは続いています。
ですが餅つきはどうでしょう。私が子供の頃は、餅つきを親類が集まってやりました。もちろん家の外で。
時折、子供に臼(うす)の餅を杵(きね)でつかせるということが団欒でした。やがて
自動餅つき機が家庭に普及し、いつしか餅つきはなくなりました。
自動餅つき機だって、家族で分担して作っていました。家の中でやる作業だけども、年に1回のタスクだから珍しかったし、これも
家族の団欒でした。いまでも使っている家は多いでしょうが、現在人の発想は
“作るのが手間だから買ってきたほうが早い” となっています。このような状況下になって、
あらためて餅つきの体験をしてみたいという思いが出てきます。人間って不思議なものですね。
まぁ、こんな雑駁なことを、このスレッドではつらつらと綴ってまいりましょう。