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食べものあれこれ(2)
ごぼうと鶏肉を食べれば病気にならない

 例えば鶏肉の炊き込みご飯を作るとき、抱き合わせでごぼうを入れることが多いです。また鶏肉を煮物にしたりする際にもごぼうが添えられます。鶏肉とごぼうは、食べ合わせが良い例の一つです。写真は、ごぼうと鶏肉のにんにく炒めです。
 ごぼうには、リグニンという成分が含まれているそうです。これは食物繊維の一つで、腸をきれいにする働きがあります。腸内で水分を吸収して膨らみ、便の量を増やして腸の働きを促してくれるのです。効率 よくリグニンを摂るためには、ささがきでスライスするのが良いとのこと。 断面が増えると、ごぼう自身が修復のためにリグニンを増やすと言われています。
 鶏肉にはメチオニンが豊富です。 メチオニンとは蛋白質を合成するアミノ酸のひとつで、硫黄を含んだ含硫アミノ酸です。しかもメチオニンは食品から摂取しなければならない必須アミノ酸のひとつと言われています。メチオニンは主に肝臓での働きが有名です。メチオニンは肝臓内に入ってきた毒素や老廃物を排除し代謝を促進させ、また血中コレステロール値をコントロールします。それ故、メチオニンはアルコールや脂肪の摂り過ぎなどから肝機能を守ると言われています。
 このメチオニンが、リグニンの働きを一層良くするそうです。
 良い食べ合わせというのは、独立しているがたいへん仲の良い男女のようなものだと思いました。お互いに自分の強みを持っていて、なお相手を一層引き立たせることができる。このような食べものを普段からよく食べておきたいものです。
# by shamballa1 | 2005-12-12 00:10


食べものあれこれ(1)
 You are what you eat. 食べものを知ることは大切です。今回のコーヒーブレークは、食べものについてあれこれ語ってみたいと思います。

野菜は捨てる部分のほうが栄養素がある

 義理の実家では大根の葉をおひたしにして食べています。お湯で茹でてざるに取り、流水にさっとあてて、水気をしっかりと切って冷します。お醤油、または、ポン酢で和えて、おかかをふりかけて食べるのです。
 ビタミンAだかCだか忘れてしまいましたが、栄養素が含まれているからという言い分です。私の実家にはこの慣習はありません。まず感じるのが残留農薬の問題でしょう。私の感覚は、地中の部分を食べるのであって、地上の部分は食べないほうが安全、というものです。おじいちゃんの主張は、農薬は使っとらんから安心せい、というものです。そうなの、家で大根作っているので大丈夫なのです。
 同じ発想で、キャベツの芯とか、ほうれん草の根に近い赤身の濃い部分とか、そんなところをわざわざ食べなくてもと思うのですが、栄養がいっぱいと田舎の人は食べるのです。
 私はかつてバリ島で野菜でお腹を壊した経験があるものだから、生の野菜というのは若干臆病になります。レタスは水に流しながらよく振り洗いするし、いくら家で獲れたきゅうりでも塩を振ってごろごろ転がして、悪い成分が抜けるようにしています。
 教訓は、何でも、野菜は捨てる部分のほうが栄養素がある、と盲信しないことかな。
# by shamballa1 | 2005-12-11 00:10


人間らしい創り(完)
 ふとテレビをつけたら、谷村新司が歌っていました。わぁ~、白髪が増えたね。顔も皺だらけになっていらっしゃった。キンちゃん(矢沢透さん)はいなかったけれど、途中からべーヤン(堀内孝雄さん)も登場して2人で歌っている。アリス、そうだよ、一時代築いたよね、と懐かしく聴いていました。なんと大晦日の紅白歌合戦にアリスとして出場するようです。ちなみに谷村新司さんはチンペイですね。
 1970年代でしょう。私が中学生から高校生の時だったな、アリスの全盛期。 「冬の稲妻」「遠くで汽笛を聞きながら」「涙の誓い」「ジョニーの子守唄」「チャンピオン」「狂った果実」など、今でも歌えます。谷村さんが、その後のソロ活動で、「いい日旅立ち」「昴」などの名曲を生みましたが、ほんとに素晴らしい歌を創ってくれたと思います。
 歌というのは、それ自体は、数分で終わるものではありますが、誰しもあの時代のあの状況下で聴いたよねというものが付随してくるところが大きな特徴でしょう。身体は覚えているのです。
 これは物凄く豊かな文化を形成すると思うのです。奥深さのあるものはいつの時代でも価値を持つのだと思います。これこそ 人間らしい創りもの ではありませんか。
 かぐや姫(南こうせつ、山田パンダ、伊勢正三)の「神田川」は、私が10歳の時の曲で、だから私の世代からは少し古いのですが、諸先輩がこの曲のイントロが流れた途端、いまでも良い大人なのに感傷モードに入ってしまう、そんな力が歌に秘められているのだなと感じました。
# by shamballa1 | 2005-12-10 00:10 | ビジネスモデル


人間らしい創り(5)
 心の鍛錬は人知れずやっているつもりです。若い時はよく乱れたものだと懐かしく思います。晩婚だったものですから、失恋も多くて、その度に打ちひしがれていましたし。
 社会人となって20年選手ですが、前半の民間企業での勤務時代は、いわゆる“会社での苦労”を幾度も味わいました。嫌な上司が多くいたし、自分に実力がなかった頃ですから、何度も組織の中で苦杯を嘗めたものです。後半のコンサルティング時代は、実力勝負の環境だったから、少しでも仕事で手を抜いたら置いていかれるという猛烈なプレッシャーの中にありました。そのため、プロジェクトを重ねる毎に胃潰瘍や欝病にもなりかけました。
 人らしく生きるという意味において、これまでの人生に後悔はありませんが、今となっても悪いことが起こり自分の心が千々(ちぢ)に乱れたときの対処には難儀することが多いです。そういう時に自分は人間として未熟者だと悟ります。
 人生の教訓はと聞かれても、大それた価値観を会得した訳でもなく、大事にしていることはただ一つだけです。いついかなる時も、これまで生きてきたこと、いま生きていること、そしてこれから生きようとする人生に後悔しないこと。人生とは、私流に定義すれば、人との交わり、すべてこれに尽きます。したがって人生に後悔しないとは、すなわち自分以外の人たちの交際において誠実さを重ねることだと考えています。
 人から裏切られたり、切られたりしたことはありましたが、自分のこの信念からか、自ら人を裏切ったり、切ったりしたことは皆無です。
 私的にで充分です。人間らしい生活を創りたいなと思います。
# by shamballa1 | 2005-12-09 00:10 | ビジネスモデル


人間らしい創り(4)
 朝目が覚めて、リビングルームのブラインドを開けたら、正面の森林の中に、以前紹介したシロがいました。どうみてもお取り込み中のポーズをしています(たぶんうんちだと思う)。しかも私の家に顔を向けています。あわしたくなかったけれど、不運にも!?互いの目と目があってしまいました。
 確かめたことはありませんが、聞くところによるとシロは老婆犬とのこと。あら、悪かったなと咄嗟に思いましたが、そもそも人の敷地の中に入って用を足すなよなと腹立たしくなりました。ですが、 “あの顔” はなんとも表現しがたいもので、生き物らしいというのでしょうか、人間も同じではないかなと感じます。
 近所のホーマックにペットコーナーがあるからと誘われて観に行ってきました。ラブラドール・レトリーバーの赤ちゃん(生後1ヶ月)が15万円の値がついていました。ミニチュアダックスフンドやシベリアンハスキーなども売られています。マルチーズとかポメラニアンなどのふわふわ系も人気ありました。もちろん某CMで人気のチワワもです。
 ネコのコーナーもありました。ロシアンブルーの赤ちゃん、素敵! 優雅にお眠りしています。うちの実家にいるロンとは格が違うという感じです。
 売られているのは皆赤ちゃんばかり。ほとんど横たわって寝ていましたが、中には腕白に遊んでいる子もいました。生まれたばかりの動物ってほんと生きている生の表情をしていますね。
 こちらは実に愛らしい。だけどもシロは??
# by shamballa1 | 2005-12-08 00:10 | ビジネスモデル


人間らしい創り(3)
 地上波の 「チャングムの誓い」 は12話を終了したあたりです。NHKはご丁寧にも、BS2で12月中旬から28話~54話(最終回)を集中アンコール放送をやってくれています。こういう放送のやりかたというのは、NHKさん、どうなのでしょうかね。
 初めて 「チャングムの誓い」 を観る人たちの立場になってみて下さい。放送することになったら、それは観たいと思うではありませんか。毎週1話ずつ楽しんでいるのに、いきなり途中が吹っ飛んで28話からも並行し観るというのは、どうも妙な気持ちになります。
 それならBS2を観なければいいと言われそうですが、そうはならないのが人の心情というものでしょう。このように→ブログで写真を掲げて 「チャングム、応援してるよ、頑張ってね!!」 と声援を送っているのです。毎回チャングムが苦難・苦境に陥る度に、ハラハラ・ドキドキして、時には涙ぐんで応援しているのですから、28話からだって同じことではありませんか。チャングムの功績は大きく王の主治医にまでなったのです。
 「チャングムの誓い」 を知らない人には何のことなのか意味不明でしょうが、この物語、前半は水刺間(スラッカン)の女官なのですが、後半のチャングムは医女となります。この繋ぎのストーリーが分からず気持ちがすっきりしないのです。(水剌間(スラッカン)とは王の食事を調理するところで、女官とは宮廷でそれぞれ専門職を持ち働く女性たちのこと、幼い頃から宮中で暮らし、形式上は全員、王と婚姻関係をもつものとされていた)
 それにしても、イ・ヨンエさんの笑顔が素敵です。彼女が笑うとね、鼻の上の方に少し皺が入るのです。これがたまらなくかわいい。応援しています。
# by shamballa1 | 2005-12-07 00:10 | ビジネスモデル


人間らしい創り(2)
 私は欲を肯定する人間だから、人から何か言われると時は、欲張りだと言われることがあります。ただし不思議と欲深いと悪口をたたかれたことはありません。
 私に言わせれば、ビジネスにおいて営業マネジャーともなれば、仕事を取りにいくとは、この欲を張ることに他ならないという自説を持ちます。以前にも書いたように、それでも3本に1本ぐらいしか受注できないのが現実です。引き合いの段階では、そのすべてを取りに行くという欲を張ってもその結果となるという意味です。
 この原理はプライベートでもまったく同じです。やりたいことは全部やる、これに尽きると思っています。少し前に大前研一さんが同じような趣旨の本を出しているのを知りました。私、これまで大前研一さんに憧れたことは一度もありませんが、彼が主張する「良く働き・よく遊べ」の姿勢と行動には大いに共感するものがあります。
 だから、我慢をするというのが一番心苦しいです。私は、我慢をするのが美徳だとは全く感じません。その姿勢や行動が美しいとは、それ自体全く思いません。ただし誤解があると嫌ですから一言述べますが、誰かを想ってそうする場合などは、意味が異なりますので支持することもあります。
 我慢させられると身体がおかしくなるのです。もうすぐ仕事が取れそうだという時に他社に決まったとか、長年ビジネスをさせてもらっていたのに他社に変えられてしまうとか、営業マネジャーともなれば、このようなことは日常茶飯事です。
 そんな時、嫉妬が芽生えます。嫉妬とは、人の愛情が他に向けられるのを憎むこと、またその気持ちを指します。現実的にどうしようもないこともあります。
 最近よく嫉妬します。覚めた目でみれば、自分って人間らしいものだと感じるのです。
# by shamballa1 | 2005-12-06 00:10 | ビジネスモデル


人間らしい創り(1)
 金芽柘植(きんめつげ) という低木を200本ほど用意してもらい、家の周りに生垣を作ってもらいました。周囲の生垣を見ていると、槙(まき) が大多数を占めますが、他の家と差別化したいということもありこの木を選びました。春には黄緑色の芽が出るのだそうです。低木故に生垣というにはおままごとのようになったけれど、それでも良かったと喜んでいます。
 1500坪の広大な森林(細長い土地なのです)で、一方の端を200坪ほど整地して家を建てました。よって家の両端は、一方は道路ですが、片方は森林です。この森林側の家から10メートル程度の木々をすいてもらいました。両端には10メートル以上の高さの杉が何本も凛々しく立っています。中央は落葉樹で現在は葉を落としています。落ち葉が積もり積もって、腐葉土というのでしょうか、ふわふわの土になっています。
 生垣の金芽柘植(きんめつげ) の根元に腐葉土を蒔いて下さいと造園のおじさんに言われて、買わなくてもちゃんと腐葉土があるのだと知り、スコップで土を掘り起こし、借りた一輪車に乗せて生垣の下に土を蒔いたのでした。
 私、一応ナレッジワーカーでして、こういう肉体労働が伴う仕事は苦手であります。昔のMBA仲間で、一人突然左官になり現役の男がいますが、彼がよく言っていたな、いい汗が出るって嬉しいことだと。
 身体が慣れていないだけで、決して毛嫌いしている訳ではありません。どちらかというと庭いじりは好きなほうです。手入れをしてこそ自然と出逢えると造園の方に教わりました。
 私たちが自然と感じるものは、このような人間らしい創りものなのかもしれません。
# by shamballa1 | 2005-12-05 00:10 | ビジネスモデル


忘れかけていたものが突然訪れる(完)
 「男たちのYAMATO」 を映画館で鑑賞しました。私は、テーマが愛というのは大好きなのですが、やはり男女の愛や家族の愛に感情移入するのであって、祖国への愛とか、とりわけ男と男の愛(ここで述べたいのはもちろん同性愛という意味ではなく、友情とか “同じ釜の飯” を食ったという連帯感という意味)などは超苦手なのです。
 同性どうし(女性の場合はどうなのか分からないけれど)の愛って、一度は真剣に考えないといけないとは思っていますが、どうも入っていけないな。一般に “体育会系” というのは、その精神構造が背景にあります。私も“体育会系”畑ではありましたが、学生時代からあの世界は嫌いでした。なぜビジネス合理性で関係を持てないのかが理解不明だからです。合理性による関係を持つだけでもどれだけ信頼関係を構築できることでしょうか。
 その意味で戦争映画というのは疎ましいものです。あんなの美化する人たちの精神が分かりません。矛盾するようだけど、それでも昔から戦争映画(ひとまず太平洋戦争のことを指しています)をよく観ていました。ある観点では、それは敗因分析であったり、心情面では、やはりこの時代やあの状況下での男女間の愛の交歓はどのようなものなのか、などへの関心が大きいのです。長い視点でものを観れば、私たちが生まれてきたのも、あの時代の親や親族の愛の結果なのであって、これは家族愛にもつながっていくのです。
 反町隆史と中村獅童、真摯に演じたとは思う。だけども脇役の仲代達矢と渡哲也がやっぱり際立ちます。俳優としてのキャリアや重みみたいなのは、まだ30代の2人にはどうしても出せないものだなと感じました。
 世代を超えた愛、子を授かるのは男女の愛が原点。この感覚は私たちの身体に刻まれているものだと思います。普段は忘れているだけです。どのような機会でも構わないから、忘れかけていたものを再確認することはいつの時代も必要なのです。
 エンディングが長渕さん(私より7つも年上の人だから長渕さんと呼ぼう)ときた。今の若い人にはこの人選と彼の歌の心が分からないだろうな、きっと。(私の世代から)そう古くもなく反対に新しくもなく、想定された顧客セグメントの中に自分がいるのだなと分かって嬉しかったです。
# by shamballa1 | 2005-12-04 00:10 | 価値


忘れかけていたものが突然訪れる(5)
 たぶんこのような本が出るだろうなとは思っていました。いや、よく探せば、「冬ソナ」現象を論じたものは多くあります。私が読みたかったのは、次のいずれでもありません。まず、ミーハー的にこの話題に便乗したもの。例えば、冬ソナの舞台を訪ねてみようとかいうもの。次に、抽象論や社会学だの堅苦しい学者の読み物です。冬ソナを扱うぐらいですから柔らかいのだけれど。
 そのような中で、 「「冬ソナ」にハマった私たち」 林香里 文藝春秋 は興味深かったです。著者はジャーナリスト出身の学者だけれど、①自ら「冬のソナタ」を全話観ていること、②感情の表出に着目していること、③実際にハマったとされる女性たちの声をきちんと拾っていること、などがあり共感しました。
 「冬ソナ」ブームは昨年(2004年)でした。NHKで2003年後半から4度放送されたのです。そして現象として、50代以上を中心とする、いわゆる「中高年女性」ファンが大量に現れたのです。彼女たちは「ソナチアン」と呼ばれました。
 私はこの 「ソナチアン」 が 「冬ソナ」 を通して何を充たしているのか、彼女たちの欲求に対して多大な関心がありました。マーケティングの視点からも、この実態解明をしている人や論考は実に少ないのです。
 で、この本の指摘は、①涙を通して感情のケアをしてくれる物語自体の美しさ、②「純潔」が生きていることを見ての称賛、③「韓国」という未知の国への漠然としたあこがれ、④日本の行き過ぎた近代化を浸透させ、徹底化された日本のマスコミとの縁が薄いからというもの、だとされています。③④は興味深かったです。②「冬ソナ」にはエッチは出てこないものね。美しい言葉、大泣き、女性につきまとう「感情労働」からの開放、癒し、などが①にはあります。
 忘れかけていたものが突然訪れて、人間っていろんな反応するのだなと学びました。
# by shamballa1 | 2005-12-03 00:10 | 価値


忘れかけていたものが突然訪れる(4)
 かつての私の部下に強い情念を持つ女性がいました。情念とは、深く心に刻みこまれ、理性では抑えることのできない悲・喜・愛・憎・欲などの強い感情のことを指します。彼女のプライベートなことはひとまず置くとして、いつかその女性が、行きたいけどまったくチケットが取れないと言っていたものがありました。
 鼓童(こどう) といいます。私のブログ愛読者の中にはすでにご存知の方もいるかもしれません。佐渡に本拠地を置く和太鼓の集団です。「鼓童」とは、人間の基本的なリズムである心臓の 「鼓動」 から音をとった名前で、それは大太鼓の響きこそ赤ちゃんがお母さんの胎内で聞いた最初の音、心臓の鼓動に他ならないという啓示からきているそうです。そして 「童」 のように何ものにもとらわれることなく、無心に太鼓をたたいていきたいという願いが込められているようです。
 先日知人と昼ごはんを食べている時にこの鼓童の話をしました。私はその数日前に、都内で実演を見てきたものですから、「躍動感」 をキーワードに鼓童の魅力を語ったのですが、体力勝負と繊細さは対極にあり、その鼓童とやらは、荒々しい祭り(例えば、岸和田のだんじり)のようなもので、感情や感覚がこまやかなものを感じないと言われました。加えて、情念の強い人が憧れるものだろうと。そうか、そういうモノの見方があるのだなと学びました。
 私が鼓童の躍動感にフォーカスしたために上述のようなイメージを与えてしまいましたが、実際の鼓童って結構感情や感覚がこまやかなものなのです。演題によって、いつも大太鼓を褌姿でバチでたたいているだけではありません。私が今回の実演を観て驚いたのは限りなく静寂に近い音(この演奏は高度な技が必要で繊細な音色は聴く者の心を洗ってくれます)から、稲妻のようにとどろく衝撃音までを自由自在に繰り出せる幅の広さです。 楽器も太鼓だけではなかったですし。確かに女性ファンは、演者の肉体美を楽しみにしている人も多いと聞いています。2枚目の写真はそのイメージの典型でしょう。
 だけど演者はかなりリズムの勉強をしていると思うな。素人では、音は出せてもあそこまで自由自在に太鼓を操れないと思います。とにかく私は感動しました。よろしかったら、皆さんもどうぞ。
# by shamballa1 | 2005-12-02 00:10 | 価値


忘れかけていたものが突然訪れる(3)
 車で家の周囲をドライブしていたら、掩体壕(えんたいごう) と呼ばれるものを発見しました。しかも随分数があります。写真を2枚載せておきましょう (下の写真のように飛行機が格納されたのです) 。 掩体壕 とは、航空基地にある飛行機を滑走路から掩体壕に収容し、敵の攻撃による飛行機の破壊に備えるための格納庫のことをいいます。もちろん戦争時の遺物で現役で使われているものではありません。20数基つくられたとされています。
 興味が湧いたので 掩体壕(えんたいごう) について調べてみました。2つのことを新たに知りました。1つは、茂原に海軍航空基地があったこと。現在茂原市東郷地区は、三井化学を中心とした工場群と住宅地が広がっていますが、この辺りに昭和18年に海軍の飛行場(大日本海軍第252航空隊基地)が置かれました。当地周辺は、首都東京へ空爆に向かう米軍艦載機の通路に当たり、空襲も多かったようです。もう1つは、掩体壕データベース というのがあって全国にこの遺跡があることを知りました。
 私の実家は八尾ですが、すぐそばに飛行場があります。ここにも 掩体壕(えんたいごう) がまだ1つ残っているとは知りませんでした。
 海軍航空基地といったって、太平洋戦争の局面が悪化してから昼夜問わない突貫工事で作ったものに違いないと思います。当時の人の苦労や苦難が思い浮かびます。
# by shamballa1 | 2005-12-01 00:10 | 価値


忘れかけていたものが突然訪れる(2)
 20代後半に急に太ったことがありました。その後つい最近まで体重もコンスタントでしたが、数ヶ月前からお腹に張りのような感覚が出てきました。体重を測ると増えています。張りはあっても、尿や便に以上もなく、当然痛みなどもありません。直感ですがこれは内臓脂肪だと思いました。
 念のために通院してみましたが、医師の診断も同じ見解でした。よく、お腹の皮膚の下にあって、摘むことができるのが皮下脂肪といい、一方、腹部の内臓の周りにあるのが内臓脂肪と区分されます。日本人男性では、お腹まわりが85cm以上あるとBMI(=体重kg÷身長m2)の数値を問わず内臓脂肪が増加している可能性があると言われています。そして内臓脂肪は生活習慣病の元と言われ、糖尿病、血栓症、動脈硬化・高血圧症の促進につながります。
 病院の先生が良いことを教えてくれました。内臓脂肪は預金に例えると普通預金と思いなさいと。定期預金に例えられる皮下脂肪より引き出しやすい、つまり減らす事はそれほど困難ではないというのです。それから、内臓脂肪は腹部にあるから腹筋運動と考える人が多いらしいのですが、腹筋運動は腹筋を強くしますが、直接、内臓脂肪を減らす効果はないそうです。
 解決策は、脂肪を燃焼させる有酸素運動とのことです。よく有酸素運動は運動の持続時間が20~30分以上ないと脂肪の燃焼が起きないとされるようですが、この解釈は20~30分以上の持続時間があれば確実という意味であり、これより短い持続時間では脂肪燃焼が起きないというわけではありません。一番大切なのは総有酸素運動時間とのことです。30分を1回よりも10分を5回の方が総運動時間は長くなるのです。1回に20分以上と考えると億劫ですが、分割してもよいと考えると有酸素運動を行う時の精神的な負担が軽くなります。
 で、結論は、歩けと。内臓脂肪という忘れかけていたものが突然訪れて、単純だけれども大切な示唆を得られたのでした。
# by shamballa1 | 2005-11-30 00:10 | 価値


忘れかけていたものが突然訪れる(1)
 一部の人しかウケないネタですが、私は自宅で、自称 “クマ歩き” という特殊な歩き方をします。休み中に夕方少し仮眠をとっていました。目覚めたら周囲はもう真っ暗です。室内の電気もつけていなかったので何も見えません。 “クマ歩き” でリビングルームへ歩いて行きました。途中、玄関の前を通るのですが、そのあたりで何かに脚をとられて、転んでしまいました。 “クマ歩き” は結構早く歩くのです。スピード出ていたから、転ぶのも勢いづいてしまいました。昼間に宅急便で届いたテレビ台(組立て前)の部材をそのまま玄関前に横倒しにしていたためです。
 転んだなと認識できました。少し間があって、脚と身体に痛みを感じました。まず咄嗟に思ったことは、骨が折れてないかとか足首などを挫いていないかということです。どうやらそれはありませんでした。灯りをつけて、次にしたことは身体のチェックです。案の定、左の膝の皮膚を傷つけてしまいました。この時思ったのです、あぁ~懐かしいなと。
 ふと幼少の頃、自転車で転んで膝小僧から血を流した経験が思い起こされました。膝小僧とは、ひざがしらで、膝の関節の外側の部分を指します。ここを打ちつけて痣を作ってしまったり、砂利とかに磨れて皮膚が破れたりしました。よくあったんです、特に男の子の子供の頃は。私はいささか腕白でありましたし、しかも両親に冬でも半ズボンを履かされていましたので、膝はほんと傷が多かった。
 で、転んだので確かに痛いです。痣に少し血が滲んでいます。でも何か、忘れかけていたものが突然訪れた、という感じで、少し懐かしさを感じてしまったのです。その後もです。そうそう、お風呂の時。傷口が沁みるんですよね。この感覚も懐かしいです。
# by shamballa1 | 2005-11-29 00:10 | 価値


意味のある軽さ(完)
 軽いからって必ずしも浅薄だとは限りません。日本の経営学で一番有名な用語と言えば、何だかお分かりでしょうか。それは、 「終身雇用」 という用語です。これ結構、意味が深いんです。
 話は飛びますが、 「官僚制」 という、これも有名な用語があります。組織が機能を果たすという意味において 「官僚制」 は優れているのです。行政機関はその際たる例だと言われています。一方“お役所的な対応”だと揶揄されるように、手段の目的化というものが働き、 「官僚制」 のディメリットだと言われています。
 同じように 「終身雇用」 にもメリットとディメリットがあります。一般に終身雇用とは、定年までの安定した雇用が保証されていること、年功序列とは地位と給与の上昇が年齢(入社からの年数)を土台にしていることを指すと言われています。ですがこの定義は、ある意味で間違いなのです。問題の箇所は 「定年までの安定した雇用が保証されていること」 にあります。保証というなら契約でしょう。定年を60歳とすれば、あなたを60歳まで雇用しますという契約があって保証されていると言えるのではないでしょうか。
 ごく簡単に述べましょう。 「終身雇用」 とは、 「定年まで安定した雇用が保証されているような雰囲気であるが実際には何も確かな契約がないもの」 なのです。会社側、社員側双方の視点に立脚しても、契約がないのですから、 「重い」 関係でなく 「軽い」 関係です。この「軽さ」が意味を持つか否かは実質的な関係に依存します。日本の社会はこの 「軽さ」 に意味を持たせたからこそ、 「終身雇用」 というのは意味深いのです。
 確かな保証はないけれども長く信頼関係の中でコミットが生まれる。私の述べたかった「意味のある軽さ」の本質です。
# by shamballa1 | 2005-11-28 00:10 | 理念


意味のある軽さ(5)
 耐震強度の偽装問題で世間は騒がしいです。個人的な関心は、我が家の耐震構造は大丈夫かというものです。なにせ日本でこの建造物は唯一のものとのことで、建築士がこのリビングルームの耐震構造は自分にも分からないと言っていたのですから。
 元建築士の姉歯も、マンションなどを売ったヒューザーや木村建設も、そして確認審査で素通りさせてしまった日本ERIも、各々過失があったのは事実でしょう。被害者の皆様のご苦労・ご心痛はよく分かるし、国や行政の補償や支援も必要になってくるかもしれません。世間が騒いでいる通り、これは建築業界の構造的な問題のようです。
 私は、姉歯元建築士の証人喚問をテレビで観ました。これは不信の構造だなと直感しました。この人は、今回の件で随分楽になったのではないかとも感じました。組織と人間が不信の構造に入りますと、なんとも重苦しいのです。なかなか抜け出すことが難しいのです。発覚していなければ姉歯元建築士はきっと同じことをやり続けていたでしょうね。
 その意味で姉歯元建築士は今後も続く宿痾(しゅくあ)から抜け出せたという意味で、救われたのではないでしょうか。私にはそう思えてなりません。決して姉歯元建築士を擁護しようなどと考えているのではありません。今回の騒動の中では彼が一番人間らしいと感じたのです。
 意味のある軽さは、とても重要なのです。長く生き抜いていくためには、傷を負っても不信の構造から抜け出たことを喜ばねばならないでしょう。
# by shamballa1 | 2005-11-27 00:10 | 理念


意味のある軽さ(4)
 一見すると軽い本のように見受けられます。「人は「動き」だ!」 馬渕哲・南條恵著 日本経済新聞社 という本です。ですがよく読むと、これ案外深い技術やなと、感動しています、私。
 先日神戸大学で加護野忠男教授と談笑していた折、小売り店舗のPOSデータ(店舗で商品を販売するごとに商品の販売情報を記録し、集計結果を在庫管理やマーケティング材料として用いるシステムで販売時点管理)は詳細のものが上がってくるが、店員が店舗内でどんな動きをしとるのかというデータ採取は皆無であると述べられていました。
 そうだよな、一口に接客というけれど、店の人の動きで、お客が店に長くいたり、買い物するかしないか随分影響受けるよなと感じました。人の動き探検団 をご覧下さい。例えば、相手に優しく振舞いたい時には、こんな、あんな、動きをすれば、効果的だと教えてくれます。これは気持ちとかではなく、結構スキルです。
 マクドナルドに代表されるマニュアル主義の店舗オペレーションからは出てこない発想です。規則やルールに則る動きは重い、と私には感じられます。ここで言う重いとは、手段の目的化という意味合いで、固定的なものというニュアンスで使っています。あるべき姿は、状況に合わせて適切で効果的な動きを各自が各自の判断で行なうということでしょう。そのためには、動きの基本体系を学び、我々のお店に必要な動きとは何かを要件定義しなくてはいけません。そしてその要件定義ごとに店員が動いているのかを観測する必要がありましょう。この意味で、必要なのは動きで、それは意味のある軽さなのです。 これ誰かビジネス化してくれないかな。ごっつい需要があると思うけれど。
# by shamballa1 | 2005-11-26 00:09 | 理念


意味のある軽さ(3)
 やっぱり京都はいいなとつくづく感じます。私は人生の半分を大阪で暮らしていましたから、京都がどのような所かはもちろん知っています。ですが奥深さという意味においては、まだまだ見聞したいものが京都にはたくさんあります。
 大学院時代に京都の芸妓について少し調べたことがあります。祇園では、芸妓をお茶屋で雇用するのではなく、置屋に置いています。これはなぜか。芸妓さんは、文字通り芸こそ価値であって、もし格式のあるお茶屋に雇われていたら、芸がなくてもお客がついてしまうかもしれない。他方、置屋にいれば芸がないとお呼びがかからない。だから芸妓や舞妓を置屋に置いて競争原理を働かせ芸を磨かせることができるのです。
 ここにも 「意味のある軽さ」 の原理が活用されています。お茶屋は芸妓の雇用という重さを持たず、必要時に必要な芸妓の派遣を受ける。これは経営上何を意味するかというと、固定的な人件費が少なくてすむということです。固定費が小さければ、お茶屋の伸縮自在性が高まります。簡単に言えば、不況でお客さんが来てくれなくても、出るお金が少なく経営が楽になるということです。
 芸妓や舞妓(ご案内でしょうが、舞妓が育って芸妓になります。)からしても、自分に芸がなければ呼ばれないので、もちろん努力を惜しまず芸を磨きます。しかも一つのお茶屋に縛られない(何処で芸を披露するも自由)。これを経営学的に言うと、専門特化と競争が生み出す企業としての緊張感の高さは、仕事をする人々の緊張感をも高め、勤労意欲を高めることにもつながるのです。それだけではありません。専門特化した企業には、その仕事が好きだという人々が集まってくるので、自然と仕事意欲が高まるという効果もあります。
 話、変わりますが、私は冬の京都が好きです。しかも早朝の京の空気が。 凛とした緊張感 をたまに体感したくなります。比叡山あたりで。
# by shamballa1 | 2005-11-25 00:10 | 理念


意味のある軽さ(2)
 家を建て住み始めた頃、周囲に一匹の妙な犬がいることに気づきました。白い犬なので、シロと呼んでいます。駐車場で昼寝していたり、裏のテラスから家の中を覗き込んだり、玄関口で尻尾を振って待っていたり、私の家が出来て興味を持ったのでしょうか。ところが、よく最近はいるなと思っていたら、しばらく姿を現さなかったりします。風来坊のようなヤツなのです。後にこの犬は雌で相当歳をとっていることがわかりました。
 シロには首輪がついています。よってどこかの家の飼い犬(だったのか、いまでもそうなのかは当時不明)で、なぜうろちょろしているのか、しばらく手かがリがつかめませんでした。近所に新居の挨拶をした折、あるお宅の飼い犬がシロだと分かりました。そこの人は、定期的にシロを放しているのだそうです。捨て犬かもと思ってミルクやチーズをやると飢えたように食べていたのに、なんだちゃんと帰る家があったのかと安心しました。
 シロは軽いヤツなのです。放されている時は、私の家の周囲はもちろん、周りに6,7軒の家があるのですが、あちらこちらに顔を出しているようです。ある日の平日の昼間、偶々家にいた私は、ヤツの行動を観察する機会に恵まれました。私の家を除く、その周りの6,7軒には大概玄関近くに番犬がいます。そしてこれも共通していますが、どの家の番犬も昼間はあまりやる気がないようでぐったり地面に伏しています。シロは、一軒一軒回って、ワンワン~ワン! と吼えてはまた次の家に行くのです。
 私には、シロが、私たちは番犬なんとちがうんか、もっと元気出して吼えろよ、さぁ、こういう風に、ワンワン~ワン! と言っているような気がしてなりませんでした。これは、チェーン店で一定のエリアを指導するスーパーバイザーみたいなもんだなと感じました。他の番犬たちはシロの吼える声に呼応するかのように、あちこちで吼え声があげています。偶然にもそこに郵便配達の人がやって来て、この盛り上がった番犬たちによる吼え声は一層大きくなったのでした。エリアの安全を守るという意味から、シロはバリュー出してるよねと私には思えたのです。
 隣の家のおじさんがぼやいています。あの犬は、うちの犬の餌を勝手に食べるんだと。本社配賦と思えばいいじゃないですか。うちもミルクやチーズを納めてますし。
# by shamballa1 | 2005-11-24 00:10 | 理念


意味のある軽さ(1)
 前回のスレッドに続き、今度は 「意味のある軽さ」 という概念を考えています。
俗に、軽いつき合いと表現しますと、親密なつき合いと対比して、世間話をする程度・あいさつをする程度と言ったニュアンスになると思います。風変わりな私は親しい知人との議論の末、こう思ったのです。 “親密なつき合いだけど関係が軽い” という実体はないのかと。これがこのスレッドの問題意識です。
 「軽い」 の反語は 「重い」 です。 「重い」 には多くの意味があるのですが、私はその中の一つである、疲れ・病気・悩みなどで、重苦しく感じられる、という意味に着目しています。そうです、重苦しいとは実に憂鬱になる心情です。 「重い」 の他の意味には、ご案内の通り、重い任務とか、重い地位とかいうように、重要だ・大切だという意味があります。私の大きな問題提起は、人というものは、重要性を強調しすぎるあまりに重苦しい状況を引きずりこんでしまうのではないかということです。
 一方で 「軽い」 には、軽薄・軽率、慎重でないなどネガティブな意味合いがあるものの、疲れや悩みがなくて軽快に感じられる、とかポジティブな含みもあるのです。まさに良いとこ採りでしょうが、大切なことにコミットするのは尊いことですが、重苦しくならないように、軽快に事を運ぶことができたらいいなと考えています。
 以上が 「意味のある軽さ」 の概念のイメージです。これは深く考えていけば、案外会社経営にも、また人の個人の人生にも、大いにこの知恵は役立つものとして使えるのではないかと感じています。
# by shamballa1 | 2005-11-23 00:10 | 理念

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